須子 善彦 (scommunity)です。
他のメンバーが、イスラエル・パレスチナツアーで感じたことをまとめているので、僕からも感じたことを簡潔にまとめました。
まずは動画から。(先に紹介した「旅の大学」にて提唱したいこととして、「ブログを書くのが大変で結局書かないくらいなら、動画をとって(あるいはとってもらい)それをアップしよう!」というものがあります。実際、ブログ書くより楽です。笑)
とはいえ、文字でも書いてみますね。感じたことを羅列します。
- 意外と治安に関して不安に思う場面は少なかった
- イスラエル側は都市インフラ、人々の生活(娯楽など)で、西側諸国と変わらなかった
- 特にもっとも人口の多いテルアビブではパレスチナ人の存在、あるいは、パレスチナ問題の存在はかき消されているかのようだった
- 宗教都市エルサレムでは、黒い帽子とスーツに身を包んだユダヤ教の熱心な信者が存在感を持っていた
- エルサレム旧市街では、様々な人種・宗教を信じる人が小さな場を共有しており、普段は対立や衝突はみられなかった
- ヨルダン川西岸地区に入ったとたんに、分離壁や入植地、ボーダーでのイスラエル軍による横柄な尋問など、イスラエル国の不条理を感じ始める
- 僕らが案内してもらった西岸地区の地域も、子供たちは普通に遊び、いたって平和だった。ただ、そこで聞いた話は恐ろしいものばかりだった
- 死海やテルアビブのビーチなど、リゾート地はほんとうに「普通のリゾート」だったが、徹底的にパレスチナ人は排除されていた。そしてここでたまに爆弾テロが起きる
- エルサレムにもテルアビブにも町中には兵士がたくさんいた。女性の兵士もたくさん。ライフルを持ちながら彼氏とデートしている姿をよく見た。そして、だんだんその異様さにも慣れてしまう自分が居た
- ホロコースト記念館では、おぞましい写真や資料と共に「この国を守らないと、僕らは再びこんな目にあうんだよ」という強いプロパガンダを感じた。分離壁、ゲットー。ユダヤ人は同じようなことをパレスチナ人にしている。
- ホロコースト記念館には兵役についたばかりの女の子(18歳とか)の兵士がたくさん見学に来ていた。彼女らは高校までは歴史を学ばないらしい。兵役ではじめて「歴史」を学ぶのだ。

エルサレムで路線バスに乗る。ここは自爆テロが起きた場所らしい。「今起きたらどうしよう?」「いや、あれだけのセキュリティがあるから起きないだろう」。
西岸地区にいて、イスラエル軍の横暴な行動や、イスラエル国の不条理な行動に、一人の人間として憤慨をしました。西岸地区からイスラエルの行政地域に戻るとき(つまり、分離壁を越えるとき)に、イスラエル軍による取り調べがある。取り調べといっても、やつらは自爆テロをおそれガラスの向こうから監視カメラ越しに命令してくるだけだ。足を投げ出したばこを吸っている20そこらの兵士にいろいろ言われる。腹が立つ。

そのような経験をしつつも、エルサレムで路線バスに乗っているときに、彼らの分離壁とセキュリティに書けるコストが、自爆テロを激減させ、市民の不安を低減させていることを、自分事として感じました。誰も、人間として、死ぬのは嫌だし、テロのような無差別殺人で死ぬのはまっぴら。その人間としての自然な思いから「イスラエル軍が自分達を守ってくれるから安心だ」と思ってしまうのです。
立場、状況が変わっただけで、180度見方が変わります。
頭では分かっていても、「命」をかけてその「場」にいて感じることで、この対立の本質に一歩近づけた気がしました。

「イスラエル人だって好きでここに住んでいるわけじゃない。」これは、スタッフのなみちゃんが入国管理の役人に言われたことだそうです。
僕らはたまたま日本に生まれ育ちました。僕らと同じ世代のイスラエル人も、たまたまイスラエルで生まれ、育った人が大半です。先祖がこの地に入植してきたことに、彼らは意志を行使できません。
彼らは僕らと同じように、育ち、学び、他人を愛し、たくさんの思い出や大切なものをイスラエルという土地、国家の中で生み出してきたわけです。

テルアビブのビーチ。
周囲は、日本人の若者が湘南海岸で遊んでいるのとまったく同じ光景が広がっています。
唯一日本と違うのは、海の上を数十分おきに軍用機が通過すること。ガザを空中から監視する偵察機だそうです。
そんなビーチで、海に浮かびながら、ツアーで感じたことを自分の中で振り返っていました。
彼らはどんな気持ちで、一票を投じ、兵役をこなし、イスラエルという国を支えているのか。
そっち側の視点を、彼らの日常生活の中から、少しでも感じることができたのが、僕のツアーでの大きな収穫です。


